<216> 1955・産業美術・発進

昨年は金沢美大開学70周年を迎えました。
開学往時とその9年後に発足させた【産業美術学科】の生立ち状況を振返ってみる機会を今般金沢市尾張町の〝金沢美大・柳宗理記念デザイン研究所〟で【1955・産業美術・発進】2017/3/7火〜5/14日 = 開催されています。
金沢に出向くに苦慮されてる方々・・・開催展の詳細図録を楽しんで頂ければ・・・と。

金沢市は
昭和21年・1946=終戦の翌年に金沢美術工芸専門学校(3年制)を発足させ、
昭和25年・1950=金沢美術工芸短期大学大学(3年制)に
昭和30年・1955=金沢美術工芸大学(4年制)に移行させました。時代の要請に合わせ【産業美術学科】商業美術と工業意匠の二専攻を新設しました。

◉P27〜28に記載されてる「金沢市議会における美大関連の審議経過」井村市長の粘りに頭がさがります。
当時の市民は、厳しく、且つ暖かく美大の成長を見守ってくれています。それを受けて、私は昭和30年の新学期早々6月の柳宗理先生の就任記念講義の様子が可成り鮮明に印象に残っています。
全学生、全教授、職員が一堂に集まり、先生の話が始まると、強烈な緊張感につつまれた事が憶い出される。
「およそ歴史が止まったかにみえる旧態然とノンビリした金沢の地なれど、今後の日本にとってのデザイン教育建ち上げの重要性に注目された当地の関係者の熱意に賛同して、私はここに来た。なにより学生諸君自身がこの事をしっかり自覚してくれ給え!この大きな話に共に乗ろうではないか!・・・この自覚を持ち続けないなら〝私は去る〟くだんの関係者も投出し、分解するぞ!」
月並みな挨拶は一切なく、居並ぶ教授陣も緊張感で青ざめ、厠にたちたく成った程であったそーな。(ちょっとオーバー表記)
とはいえ、柳先生の人懐っこい目と声のトーンにいっぺんに魅了された。
この後、大智浩先生は当時最新の外国デザイン事情などスライド上映を交え、緊張感を揉みほぐし、印象深く、新鮮な初講義であったなー。
四年制を発足させて、全学内の人達が集合しての最初の一大セレモニーであったことは間違いありません。
当時の森田学長ほか関係者の口癖は「金沢市民が学生諸君一人あたり、一年に10万円を負担して頂いているのだぞ!」だったなー。 (昭和30年、戦後10年ですから超大金と感じた)

大智浩先生(商美)も柳宗理先生(工意)も述べられた抱負は同じ様に、簡単に要約すれば、「その意を帯し、俺もやるけど、お前等もやれよ!」と、未だに頭の片隅に残っている訳です。 つまり、四年制を発足させ基礎固めに必死だった時代だった筈。 とは云え俺はチャランポランだった。
昭和30年の春、入学したての事であった。憶えば遠くに来たもんだ〜♪
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   大智先生デザインのこのB全判ポスターはきょう日になってもかっこいぃーなぁー♪  ↓↓↓↓↓↓
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by ky-shige | 2017-03-27 00:01 | 駄真画報 | Comments(0)
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