<92> 肖像画(1)

    シャチョーは何かを描きたくて、手枠を組み。彼方此方構図を探っています。なかなか見つかりません。
     焦ってイライラしてるのかも知れません。四六の蝦蟇の如く、鏡に映った己が姿に……
    オッ!これはイケル…… 
    油汗がタラーリタラリ これは描かずば!
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    駄真画報社々長は貧乏だから人物を描きたくなっても、モデルを雇うなんて夢だ。
    しょうがないからシャチョー自身がモデルに。
    しかし、マトモに顔を知られると困る。知られると醜男だと云う事が一部世間にバレる。

    まあ、知り合い達は合点承知之介であるから、大した問題ではないのだが。
    問題ではないが、一計を案じて新しい解釈の自画像?に挑戦することにした。
    つまり、人物画はその「人となり」が顕わされている事こそ肝要なり。……との立場に立てば
    人相表情があきらかにされてなくても、醜社長にとっては都合がいい、
    そこそこ満足できる人物画であり自画像だ!……と云う屁理屈だ!
    若い時分から、よくは判らないが、何かを探り妙な焦りのようなものを抱え続けたシャチョー。
    このポーズ、この構図は、きょうびに至る社長の心の有り様を表現しているように思える。
    「そうだ! これは俺の肖像画だ! もっと描き込んで残して置く事にしよう」
    写真をベースに、昔の映画館の看板製作の技法、無論、肖像画家も用いる手法でもある。
    シャチョー、あんたはえらい! 肖像画の新しい考え方、在り方の一端をも示しているんでないかい ・・・続く

閑話休題
自画像といえば、社長が気にする作品に、鴨居玲氏(故人)のものがある。
作品名は「私」石川県立美術館蔵。達者なデッサン力と筆遣いを発揮した自画像?らしき大きな油絵です。
画室のイーゼルには大きなキャンバスがセットされていて、鴨居はそれに対峙して座っています。
その画布にはなにも描かれていません。白地のままです。画室なのに大勢の人達がひしめき合って氏を取り囲んで、ヒソヒソ小声で話し合ったり、画面を覗き込んだりしています。
氏は筆も持たず、肩を落とし、力無く、表情はあまりはっきりしない魂が抜けたような感じで、ぼんやり曖昧に描かれています。大げさに云えば、未来が見えて来ない袋小路で途方に暮れて朦朧とした氏がそこに居ます。往き詰った己を熱心に丹念に描いた大作です。職業画家に限らず、人間ならば誰だって、貴方だって。いつ何時……と問いかけてくる、かなり恐ろしい絵です。
つまり、自画像や人物画は心の内まで表現することが望まれるのだろう。とはいえ、鴨居氏のしたたかな計算と技術にシャチョーはたぶらかされているのかもしれない。
ちなみに氏は戦後のファッション界をリードしたデザイナー鴨居羊子氏の弟さんです。氏の師は宮本三郎画伯。    ブログランキング・にほんブログ村へ
by ky-shige | 2009-08-18 15:02 | 素描(デッサン)
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