<140> 金沢兼六園=雪景

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    ペン画です。クリックすると拡大します。アラが見えます。  今更……赤(∋_∈)面?でもあるまい。齢七拾四

「兼六園霞ヶ池」を調えている「徽軫(ことじ)灯籠」「唐崎松」「内橋亭」「蓬莱島」や跳び石などは、駄真画報社々長の趣向に合わせて、角度位置大きさのバランスを変えた絵空事です。実際はこのようには観えません。

A閑話 名所旧跡愛好フェチの駄真画報社々長の想念は、先日、三浦半島金沢八景の称名寺を画いたら、なぜか北陸金沢の兼六園にと連想ゲームの如くに「金沢」をキーワードにして時空を駆け巡る。
シャチョー齢を重ねるにしたがい、画面の隅々まで丁寧に描き込まないと気が済まない。これは印刷屋に生まれ育った所為もあるが、若い頃の一時期、デッサンやデザインのデの字など習得のため過ごした金沢も影響しているのではなかろうか?と思っている。
兼六園のみならず、市街全体が、細やか繊細に手入れが行き届いていて、その佇まいの中に身を置いた経験が、チャランポランなシャチョーなのだが、いったん画面に対峙すると、上手くはないしナマクラ者ではあるが、或る種石川県の手工芸仕事(漆芸など)に臨むように、嫌々だがコツコツ作業しないと気がすまぬ癖が身に憑いたようだ。
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    シャチョー青春してた頃の美大(現・石川県歴史博物館)
    皆の者、頭が高い・・・控え居ろう・・・先を歩まるる後ろ姿の御方をドナタと心得る!
    油絵科に籍を御置きになる 百万石加賀藩をば差配相勤め成されたる御家老・先きの横山男爵家の姫君様にオワシまするぞyoッ!
    高嶺の花に御座候。扨キョウビ如何に御過しおわすますやら・・・・・・?!?
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    『風に吹かれて』五木寛之著=読売新聞社刊(1973年)
    「十二月八日の夜の雪」に石川県歴史博物館の過去の佇まいや、金沢の描写が肌理細やかに。  
    装画=竹久夢二「青春譜」 / 題字=村上豊  
    装丁・本文構成・造本設計=ky-shige(駄真画報社々長)
    大ベストセラーを記念しての特装函入限定豪華本。

その頃、路面電車が金沢市内に四通八達していて通勤通学時は混雑していた。世話になっていた金沢美大は現在の石川県歴史博物館で兼六園最奥「成巽閣」や「金城霊澤」(金沢市地名の興りに由来)の近隣で、出羽町電停に近く、毎日遊び半分の気分で描く事の訓練を受けていたのだが、つまり、青春していたのだ。が、一つ手前の公園下電停が兼六園やお城に近く、毎日とは言わないが、時間に余裕がある時には坂を登り、おできになる友人は右方向の橋を渡り石川門をくぐり城内の金沢大学へ、ガラクタのボクチャンは下駄をカラコロ左方向兼六園内横断へと歩みを進めたのであったナ。
なにしろ、戦後わずか10年ほどの頃のこと、靴は贅沢、普段履きは下駄が相場だった。現在、入園料は300円との事、その時分は無料であったナ。
ある時、徽軫灯籠の右側10メートルあたりの繁みに潜んで、観賞用の鯉を釣ろうとしている不届き者を見掛け、注意をしたら、喧嘩口論になった事などあったなー。戦後の極端な食い不足状況は終焉していたとは思うが、幾分栄養状態もよくなく、乳飲み児を抱え、お乳の出もいまいちの奥さんに鯉こく味噌汁を…… など、あの時代なりの事情があったのかもナァー?

なんぼモノ好きでも寒い雪の朝に園内を歩いたかどうか?は記憶に定かではないが、写真を見ながらではあるが、思い出や郷愁に浸ってみるのも、老人の描きたい欲望を奮い立たせる要素の一つの様だナ。
幼児がえりのノスタル爺ックさん、年明け一番頑張ってますナ! 微笑ましき者よ…と…優しく見守ってやりませふぞ!

およそ50数年前、まだまだ経済成長期に至らない日本。戦災を被らなかったのも幸いしたのでしょうが、伝統を大切にし、芸術美術の振興に力を注ぎ、いち早くデザイン教育にも注力を惜しまなかった金沢の地。そして、その教育に尽力された方々や、そして懐かしい先輩友人の皆さんに足を向けては寝られません。
万分の一の返しにもなりませんが、拙ブログにて、思い出の「雪の兼六園」をアップして、金沢観光の一助?に……などと、今や無職透明・閑ボケ爺がほざいております。

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by ky-shige | 2011-01-19 15:56 | ブックデザイン | Comments(0)
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